沿革
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校祖について
校祖左藤 了秀
校祖、左藤了秀は、「知徳の併進、究むれば究むるほどいよいよ淑やかに、学べば学ぶほど益々優しき、魂の教養こそは、新時代の女性が求むべき真の目標であらねばならぬ。」と説きました。以来一世紀以上、本校は中高一貫教育の女子校として独自のシステムで教育に取り組んでまいりました。
この一世紀、時代の変化につれて女性の生き方も大きく変貌を遂げてまいりました。女性に求められる知性の内実の変化に伴い、本校も具体的な教育内容はそのつど改革を進めてまいりましたが、校祖のめざした「人として、女性としての高い教養と豊かな魂」は、本校の教育理念の両輪として、決してゆるぎのない信念をもって引き継がれております。祖母から母へ、母から娘へ、親子三代にわたり大谷で学んだ方々も数多くいらっしゃいます。「朝に礼拝、夕に感謝」の校訓とともに大谷の変わらぬ教育の姿に信頼を寄せていただいた結果だと確信しております。
また、校祖は、「学校と同窓の関係は実に母と子の関係である。学校の真価を量ろうとすれば、卒業生の行為と精神を見るに如くはない。」とも語りました。
社会に貢献しうる豊かな知性と教養を備えて巣立っていった卒業生で、社会の各方面で活躍している例は枚挙にいとまがありません。さらに一人の女性として、実に誠実に人生に向き合っている無数の方々の存在は本校の誇りであります。
ときに、卒業生は直接・間接に本校の教育に多大な協力を寄せてくれます。
「報恩感謝の心」が日常の行為として自然と体現されているものでありましょう。
沿革
明治42年(1909) | 左藤了秀難波別院内に大谷裁縫女学校を設置 |
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明治44年(1911) | 大谷裁縫女学校を大谷女学校と改称 |
大正13年(1924) | 大谷高等女学校を阿倍野区共立通に設置 |
昭和23年(1948) | 学制改革により大谷高等女学校は大谷中学校・大谷高等学校となる |
昭和60年(1985) | 阿倍野台新校舎竣工 |
昭和61年(1986) | 特進コース設置 |
昭和63年(1988) | 帝塚山学舎(記念館)竣工 |
平成11年(1999) | 創立90周年 阿倍野台、東館竣工 |
平成12年(2000) | 医進コース設置 |
平成16年(2004) | 英語コース設置 |
平成19年(2007) | 特進コースに特文クラス設置 |
平成23年(2011) | 英語・特進コースの募集を停止し、特進Ⅰコース・特進Ⅱコース設置 |
平成27年(2015) | 特進Ⅰコースを特進コースに変更 凛花コース設置(特進Ⅱコース廃止) |
平成31年(2019) | 高等学校3か年課程設置 |
令和2年(2020) | 阿倍野台ガーデンコート竣工 |
令和3年(2021) | 理科教育研究所開所 |
令和4年(2022) | GEZ(グローバル イングリッシュ ゾーン)開設 |